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悟真寺(ごしんじ)は長崎県長崎市にある浄土宗の寺院。終南山光明院。本尊は明国由来と伝えられる阿弥陀三尊像。 == 歴史 == 戦国時代、長崎はキリシタン大名の大村純忠によってイエズス会に寄進され、神社仏閣はほとんど打ち壊されていた。 1587年(天正15年)に豊臣秀吉がバテレン追放令を出し、翌年にはイエズス会から長崎を接収し直轄地としたがなお当地ではキリシタンの勢いが強かった。筑後国久留米の善導寺の聖誉玄故が長崎における布教の拠点としての寺院建立を図り、1598年(慶長3年)に本寺が創建された。 創建後まもなく、当時長崎で貿易を行っていた明国商人の欧陽華宇と張吉泉が帰依した。また、1602年(慶長7年)には本寺境内に100間四方の朱印地を与えられ、唐人墓地が設けられた。以後、寺請制度の整備により華僑独自の菩提寺(興福寺・福済寺・崇福寺)が建てられるまで、本寺が長崎における華僑の菩提所となった。 当初唐人墓地として華僑のみが葬られていたが、長崎に出入りする各国の客死者の埋葬が順次行われるようになり、現在の稲佐国際墓地になった。 本堂は1959年(昭和34年)に現在の本堂が再建された。以前は1814年(文化11年)に再建されたが、1945年(昭和20年)8月9日の原爆投下では倒壊された〔長崎webマガジン・悟真寺〜中国人最初の菩提寺〜 〕。そのほかには当時観音堂・開山堂・鐘楼・山門などがあったが、同じく原爆で倒壊された〔長崎んことばかたらんば 〕。 山門は幕末のころで、1903年(明治36年)に大改造された〔悟真寺(ブログ) 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「悟真寺 (長崎市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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